蔵屋敷稲荷神社
富士宮市(旧大宮郷)の住宅地に鎮座する稲荷社である。「蔵屋敷」の地名は、富士大宮司家の居城・大宮城の構造に由来する。
発掘調査によれば、大宮城は湧玉池を源流とする神田川に面し、比高二十メートルの急峻な溶岩崖を背後に、主郭・二ノ郭・蔵屋敷を東西に並べた連郭式平城であった。十二世紀前半から十六世紀後半まで連綿と営まれ、最大幅九メートル・深さ三メートルに達する空堀や、版築による厚い土塁の基底部が検出されている。龍泉窯の青磁や白磁といった中国産高級陶磁器も多量に出土しており、当時の中枢的な武家屋敷に匹敵する経済力と文化的格を備えていたことがわかる。神官にして武士であった富士家の力を、考古学が裏づけているのである。
武田信玄の駿河侵攻により富士氏が武田氏に降ると、城は武田家臣・原昌胤らによって「掻揚」と呼ばれる大規模な改修を受け、馬出しや横矢を備えた防御力の高い「大宮神田屋敷」へと変貌した。
当社が鎮座するのは、主郭の西側「字蔵屋敷」——城の正門である追手門があったと伝わる場所である。城郭としての機能が失われた江戸時代以降、商業都市として栄える大宮の町人たちの稲荷信仰がこの城跡に集まり、地域の守護社として今日に至った。石鳥居の扁額には「稲荷大神」と刻まれ、奥に朱の鳥居と本殿が連なる。住宅地の中のささやかな社だが、その足元には中世大宮の政治と軍事の中枢が眠っている。













