浅間大社富士大宮司奥津城(墓所)
富士宮市元城町、旧宝積寺跡地の近くに、富士山本宮浅間大社の祭祀を古代から明治まで世襲した富士大宮司家(富士家)の奥津城(墓所)がある。
富士家は第五代孝昭天皇を祖とする和邇部氏の末裔を称する。家伝の系図によれば、延暦十四年(七九五年)に和邇部臣豊麿が富士郡大領に任ぜられ、同二十年に浅間大神の祭祀を掌ったことに始まるという。ただし平安期の系譜には創作の可能性が指摘されており、歴史学的に実態が明確になるのは南北朝時代の第二十一代・富士直時以降である。直時の代から正式に「大宮司」を称し、「富士」の家名もこの頃に定着したと考えられている。
中世の富士家は、神官であると同時に大宮城を居城とする在地武士(国人領主)としての性格を強めていった。戦国末期の当主・富士信忠(兵部少輔)とその子・信通(蔵人)は駿河今川氏の有力な被官として活動し、武田信玄の駿河侵攻に際しては大宮城に籠もって激しく抵抗した。最終的には北条氏の仲介により城を明け渡し、武田氏の軍門に降っている。祭祀者にして武人——富士家のこの二重性こそ、中世の浅間大社が地域権力の中枢であったことの証である。
大宮司職は代々世襲されたが、江戸中期に男系が絶え、森氏・大西氏などから養子を迎えて家名を維持した時期もあった。明治四年(一八七一年)の神職世襲制廃止により、千年を超える世襲の歴史は幕を閉じた。
奥津城には歴代大宮司と社家の霊が祀られ、静かな墓域に富士山祭祀の千年が眠っている。






















































