河口湖大橋・河口湖

富士五湖の一つ、河口湖。写真は早朝、河口湖大橋周辺からの撮影で、薄明の光の中、鏡のような湖面に周囲の山並みが静かに映り込んでいる。

河口湖は、単なる景勝地ではなく、富士山信仰の歴史において重要な役割を担ってきた湖である。富士講の修行には、山麓の八つの湖沼を巡って水行を行う「内八海巡り」の巡礼習俗があり、河口湖はその中核をなす一湖であった。行者たちは登山に先立ってこれらの湖で水垢離を取り、心身を清めてから山に向かった。富士講の開祖とされる長谷川角行も、山麓の湖沼での苦行を通じて神仏の啓示を受けたと伝えられる。

湖の北岸、河口の集落の歴史はさらに古い。平安時代の貞観六年(八六四年)、富士山は北西麓から大量の溶岩を流す大噴火を起こした。朝廷は噴火を鎮めるため、翌貞観七年、甲斐国八代郡に浅間明神の祠を建立させた。これが現在の河口浅間神社とされる。河口はまた、甲府から御坂峠を越えて鎌倉へ向かう鎌倉往還(御坂路)の要衝に位置し、駅馬が置かれて古くから栄えた。やがて富士山御師の拠点となり、最盛期には百四十坊もの宿坊が立ち並ぶ宗教街を形成した。ここを起点とする川口口登山道は江戸時代初期まで主要な登拝路であったが、後に吉田口の繁栄に押されて衰退していった。

湖面に映る「逆さ富士」は古来、和歌や浮世絵の題材となり、日本人の富士山観を形作ってきた。信仰の聖地として、また芸術の源泉として、河口湖は世界文化遺産「富士山—信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されている。