栄橋稲荷神社
富士宮市(旧大宮郷)の道路脇の高台に鎮座する稲荷社である。石柱に「栄橋稲荷神社」と刻まれ、石垣の上に朱の鳥居と本殿が設けられている。
大宮郷は、富士山本宮浅間大社の門前町であると同時に、甲府と駿河を結ぶ中道往還の宿場・大宮宿として発展した町である。その商業史の画期となったのが、戦国時代の永禄九年(一五六六年)、今川氏真が大宮の六度市に発布した楽市令であった。これにより特権商人に限らず誰でも商いができるようになり、毎月一と六のつく日に市が立ち、米・塩・魚・駿河半紙・煙草・茶などが行き交う流通の拠点として賑わった。
江戸時代には、神田川を境に浅間大社の神領と幕府領に分かれ、街路の中枢には伝馬町・連雀・仲宿などの町屋が短冊状の整然とした地割をなして並んだ。近江日野出身の山中家(日野屋)や池谷家といった有力商人も移り住み、駿河半紙や富士葉煙草の広域流通を担った。市街地は仲宿・連雀・伝馬町の町屋エリアへと東に向けて拡大し、蔵屋敷(大宮城追手門前)へ続くこの道筋もまた商業の中心地であった。
こうした市街地の発展とともに、商売繁盛を願う稲荷信仰がこの地に定着した。栄橋稲荷神社はその記憶を今に伝える社の一つである。社頭に立つと、門前町と宿場町という二つの顔を持った大宮の町の歴史が、朱の鳥居の向こうに透けて見えるようである。


