松山神社

富士宮市元城町(旧大宮郷)に鎮座する松山神社は、富士大宮司家の菩提寺であった寶積寺の守護社として祀られてきた神社である。

寶積寺は元禄五年(一六九二年)、第三十四代大宮司・富士信元が、それまで一族の菩提寺であった先照寺(曹洞宗)から離脱し、自らの居館(芙蓉館)に隣接する御殿地に新たに建立した真言宗寺院である。浅間大社の別当寺・宝幢院の末寺に近い立場にあり、大社の供僧が住職を務めるなど、神社祭祀と密接に結びついた神宮寺としての性格を持っていた。以後、歴代大宮司の葬儀と位牌の管理を一手に担い、富士家の祖霊祭祀の中心であり続けた。

明治維新の神仏分離は、この寺にも転機をもたらした。当時の住職・快辨は還俗して松山一角と改名し、神葬祭の神主となった。寺院としての寶積寺は明治二十年(一八八七年)に廃寺となり、その役割は神道形式の墓所(奥津城)と、一族を祀る松山神社へと引き継がれていった。現在の富士大宮司家墓所が元城町の旧寶積寺跡地付近にあるのは、この歴史的経緯による。

朱塗りの本殿には、神と仏が分かちがたく結びついていた時代の記憶が宿る。傍らには溶岩石に「水」の一字を刻んだ水神碑が今も置かれ、富士山の「火」を鎮める「水」への祈りという、大宮の信仰の古層を静かに伝えている。菩提寺の廃絶という大きな喪失を経てなお、富士家の祖霊への祭祀がかたちを変えて続いてきたことを物語る社である。