富士御室浅間神社

山梨県南都留郡富士河口湖町勝山に鎮座する富士御室浅間神社。地元では「おむろさま」の名で親しまれている。

本宮は富士山二合目(標高約一七〇〇メートル)、吉田口登山道の中腹にあり、「山中第一の古社」と称された。貞観六年(八六四年)の噴火の後、富士山中に最初に勧請された浅間神社とされ、貞観七年に噴火鎮祭のため建てられた「明神祠」がこの社であるとする説もある。『甲斐国志』によれば、諏訪の森の北口本宮冨士浅間神社を「下浅間」、山中の御室を「上浅間」と呼んだのは、もとは両社が同じ神社だったからだという。二合目の本宮の傍らにはかつて日本武尊の小祠もあり、文治五年(一一八九年)銘の日本武尊像があったと伝わる。里宮は河口湖畔の勝山にあり、山中の本宮とあわせて祀られてきた。

歴代の領主からの崇敬も篤かった。室町時代には小林入道正喜が神領を寄進し、永正五年(一五〇八年)には造営のため小林尾張入道が諸国に勧進に出ている。武田家や小山田家も保護を加えた。なかでも有名なのが武田信玄の願文で、弘治三年(一五五七年)十一月、北条氏政に嫁いだ娘の安産を祈り、無事に出産して無病延命ならば「長く船津の関鎖を抜くべし」と記している。船津(河口湖町)の関所を撤廃するという誓いである。

本宮の社殿は、現存する棟札により、慶長十七年(一六一二年)に郡内領主・鳥居土佐守成次の本願で造営されたことがわかる。桃山時代の特色をもつ建物で、国の重要文化財に指定されている。厳しい山中の気候による傷みを防ぐため、本宮の社殿は昭和四十九年(一九七四年)に勝山の里宮の境内へ移された。

二〇一三年、富士山が「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された際、富士御室浅間神社はその構成資産の一つに数えられた。写真は新緑の境内、参道入口の大鳥居、移築された本宮本殿、里宮本殿、そして神牛の石像。