富士山本宮浅間大社
富士山本宮浅間大社は、全国千三百余社の浅間神社の総本宮である。その創祀は垂仁天皇の御代、富士山麓の「山足の地」で大神を奉斎したことに始まると伝え、山宮(現・山宮浅間神社)を経て、大同元年(八〇六年)に坂上田村麻呂により現在地へ遷座した。その背景には延暦十九年(八〇〇年)の大噴火をはじめとする富士山の激しい火山活動があった。荒ぶる火の神を鎮めるために選ばれたのが、富士山の伏流水が豊かに湧き出す湧玉池のほとり。「火」に対する「水」という対立が、この社の場所選びの根拠になっている。
祭神・木花之佐久夜毘売命は、炎の中での出産を無事に果たした伝承から「火を制する水徳の神」として富士山信仰に定着した。中世には大日如来の垂迹として「浅間大菩薩」とも呼ばれ、修験者たちの霊的な拠りどころにもなった。一柱の神に重ねられた幾層もの意味を思うと、日本の神祇信仰の重層性があらためて際立つ。
境内の湧玉池は国指定特別天然記念物。富士山の雪解け水が溶岩の間から澄みきった水を湧かせるこの池で、江戸の富士講道者たちは登山前に水垢離を行い、心身を清めてから山頂を目指した。平安の歌人・平兼盛が「浅間なるみたらし河の底にわく玉」と詠んだ霊水が、今も変わらず湧き続けているという事実には、静かな感動がある。
毎年五月四〜六日に行われる五月会流鏑馬神事は、建久四年(一一九三年)、源頼朝が富士の巻狩の際に武運を祈願して奉納したことを起源とする。馬上から颯爽と的を射る姿に、中世において富士大宮司家が在地の武装領主として持っていた権威と、浅間大社が武家政権とも深く結びついていたことの一端を見る。五月の境内に張り詰めた空気は、その歴史の重みと無縁ではないだろう。
二〇一三年、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産の構成資産に登録された。山頂の奥宮と一体の資産として、遥拝から登拝へと変遷してきた富士山祭祀の核心がここにある。古代の火山鎮護に端を発し、修験・富士講・武家信仰をくぐり抜けて現代に至る信仰の層の厚さが、訪れるたびに境内のそこかしこから滲み出てくるように感じられる。









































































