大鏡坊墓所及び大鏡坊跡地

村山三坊の一つ、大鏡坊の墓所と跡地である。大鏡坊は、村山三坊および「富士行」の祖とされる富士頼尊(般若上人)を開基と仰ぐ修験の坊で、頼尊は史料上の系図において富士大宮司・富士直時の従兄弟(十四世紀前半)として記される。富士家の血脈が村山修験の草創に直接つながっていることを示す存在である。

十五世紀後半には村山修験組織の代表的地位である「寺務」を務め、文明十年(一四七八年)の金剛界大日如来坐像造立の際には工房を提供して造像を主導した記録が残る。また村山浅間神社境内の大棟梁権現社——村山修験の開祖・末代上人を祀る守護社——の別当を務めた。檀那場(信者圏)は信濃・越後・駿河・尾張から大阪にまで及び、配下の先達が各地を巡って神札を配り、富士参詣を勧めた。登山期には道者を自坊に宿泊させて祓いと祈祷を施し、山頂まで導く「富士行」を組織した。

明治初期の神仏分離・廃仏毀釈により修験道が禁止されると、大鏡坊は廃絶した。当時の住職は還俗し、村山浅間神社の神職となった。坊のあった場所は現在農地となり、往時の面影を残さない。

集落はずれの「日丘」と呼ばれる小高い丘に墓所が残り、慶安二年(一六四九年)建立の頼尊供養碑をはじめとする古塔・墓標群が、草に覆われて静かに立ち並んでいる。数百年にわたって富士山の登拝を支えた修験の坊の記憶を、いまはこの墓所だけが伝えている。