城山浅間神社

富士宮市(旧大宮郷)の城山に鎮座する浅間社である。「城山」とは富士大宮司家の居城・大宮城の中枢を指し、現在の大宮小学校付近の高台にあたる。中世にはここに公文・別当の屋敷が建ち並び、政治・軍事・宗教が一体となった大宮支配の拠点であった。武田信玄の駿河侵攻の際、大宮司・富士信忠が籠城して抵抗したのもこの城である。神に仕える家が城を構える——浅間大社を中心とした大宮の権力構造を、この立地そのものが物語っている。

大宮郷の浅間社は、浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を母とする「神の家族」として組織されていた。若之宮(一王子)・二ノ宮(第二の御子)といった社名が示す通り、御子神を祀る諸社が浅間大社を取り囲み、年中七十五度に及ぶ大社の祭祀網に組み込まれていたのである。城山の浅間社もまた、この祭祀圏の中で大宮城の守護と結びついた聖域であった。

特筆すべきは、社殿内に富士山の写真と溶岩石が置かれていることである。富士山そのものを御神体として直接崇める富士講の信仰形態が、ここには今も生きている。溶岩を「生身の神」として拝む習慣は、各地の富士講信者を結びつける精神的な核であった。山頂を踏むことのできない者も、この溶岩を通して富士山と繋がることができたのである。

城の記憶と講の信仰が一つの小社に重なり合う、大宮の歴史の縮図のような場所である。