小御嶽神社里宮

富士吉田市上吉田に鎮座する小御嶽神社の里宮。富士登拝の起点となる御師町・上吉田に置かれ、富士山五合目に座す奥宮(小御嶽神社)と一対をなす形で、富士山参詣の精神的支柱として機能してきた社である。

主祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)。富士山本宮浅間大社の祭神である木花開耶姫命(このはなさくやびめのみこと)の姉神であり、妹神が「花の如き美しさと儚さ」を象徴するのに対し、磐長姫命は「岩の如き不変性と長寿」を象徴する神とされる。記紀神話においてこの姉妹は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に嫁ぐ際に対をなして登場し、磐長姫命が父神のもとへ返されたがゆえに人の命に限りが生じたと語られる、生命の摂理を司る存在である。

富士山の信仰世界において、磐長姫命は富士山の堅牢な土台──現在の富士山(新富士火山)の下層をなす小御嶽火山──を守る神とされてきた。地質学的にも、富士山五合目周辺は古い小御嶽火山の山体の一部が露出した特異な場所であり、信仰の上でも「古き神の山」として浅間大社とは異なる独自の文脈で大切にされてきた。

五合目の奥宮は、江戸時代には「小御嶽石尊(せきそん)大権現」として広く知られた。相模国大山の石尊権現信仰との習合によるもので、富士山の守護神として天狗「太郎坊権現」が祀られ、火伏せ(防火)の神としての性格も帯びていた。享保年間(十八世紀前半)ごろから信仰が爆発的に盛んになると、その威徳を示す巨大な神器が競って奉納された。長さ約三・六メートル、重さ約四百キロという破格の大斧や、長さ約二メートルの大太刀は、小御嶽の神が振るう霊具として講員たちに深い畏敬の念を抱かせ、今も奥宮のシンボルとなっている。奥宮は吉田口五合五勺にあって、山頂への道と山腹を一周する「中道廻り」との分岐点をなし、道者は必ず本道から道を枉げて参詣し、幣帛を捧げ焼印を授かった。下山の際には砂走りを駆け下りた道者がここで身についた砂と穢れを払う「砂払い」の儀礼の場でもあった。

里宮は、五合目の奥宮への登拝を直接行えない平地の信者たちが、日常の祈りを捧げる場として設けられた。江戸時代中期以降、富士講が爆発的に広まると、上吉田の御師街は全国から集まる講員の宿坊として機能し、御師たちは登山者を自坊に迎えるとまずこの里宮を拝ませ、登山の無事を祈願させたと伝わる。登拝者は出発前にこの里宮で道中の安全を祈願し、下山後には無事帰還の感謝を捧げた。富士講中興の祖・食行身禄(じきぎょうみろく)ゆかりの烏帽子岩を中心とする聖跡群も近隣にあり、講員にとって欠かせない遥拝の場であった。

静かな樹林に囲まれた境内に立つ素朴な木造の鳥居。その先に続く参道は決して華やかではないが、奥宮を介して富士山頂への信仰の遥かな道筋に繋がる。日々の祈りが山頂の神域へと届く、上吉田の御師町の精神的中枢として、この社は今も静かに在り続けている。